ビジネスシーンで戦い続けるためには、確固たる「哲学」が絶対に必要だ

 

私は芸能界時代に負け続けた。

 

華やかなテレビの世界の裏側で、誰にも相手にされず、誰にも求められず、人知れず悔しさで涙を流す日々を過ごした。
誰を責めることなどできない、自分の才能が圧倒的に足りなかったのだから。

 

そんな「まったく使えない存在」であるにも関わらず、懲りもせず自分の夢を追い続けていた私のことなど、周りは冷たい目で見ていただろう。
当時のことを冷静に振り返ってみれば、私だって同じように考える。実際、誰の記憶に残るような仕事もできないまま、二十六歳にして芸能界を去ることになったのだから。

 

だが・・・
失意のどん底だったあの時から十二年もの時を経た今、私の根底には確かに根付いたものがあったのだと気付かされたのである。

地位も名誉もお金も無かった。何も、無かった。
それでも私は短いようで長い人生を戦い続けるために、最も重要な要素をあの日々を通じて確かに学んでいたのだ。

 

それは、仕事に対する「哲学」である。

 

一流か三流かを分けるのは、能力ではない。
目の前の仕事に対して確固たる哲学を持ち得ているか、どうか。

 

その点に尽きると強く感じている。

 

私は十年間という長い下積み生活を通じて、仕事に対する心構えのようなものを確かに学んでいたのだ。
芸能界というのは、今にして思えば一切の個人的な甘えなど決して許されることのない戦場のような場所だった。

 

「結果がすべて」

 

その原則から一切、逃げることができない世界だった。
そんな張り詰めた空気の中へ、社会のことを大いにナメきっていた高校二年生、十六歳の私は飛び込み、そして・・・
案の定、ボコボコになった。

 

でも、今にしてみれば実に幸運なことであったと思っている。
緊張感溢れる現場を何度も経験し、一流の俳優と同じ空気を共有し、彼らの背中から大事なものを学べたのだから。

 

「本物」と呼べる人はあの時、あの場所に確かに存在していた。

 

こちらは売れない役者、話ができる機会など皆無に等しい。
だが、競争の激しい芸能界で長年戦い続けている人達が醸し出す圧倒的なオーラ、凛とした佇まい・・・
圧倒的に大きく感じる背中を現場で見続けていた私の中には、自分でも気付かないうちにとても大事なものが育まれていたのだ。

 

俳優という仕事はものすごいエネルギーを必要とする。
見知らぬ人達の前で堂々とパフォーマンスを行うというのは、とてつもない精神力を要する作業である。
そんな仕事に明け暮れる毎日を過ごしていくには、自分自身の中に仕事というものに対する確固たる哲学が無ければならない。
社会が発する様々な言葉にすぐ流され、心が大きく揺らぐようなら、いつまで経っても一流と呼ばれる存在にはなれないのだ。

 

芸能界ではまったく結果を出すことができなかった私だったが、その後、裸一貫で別業界へと転身し、今、こうして一線で働くことができている。
それは芸能界時代の日々を通じて学んだ、仕事に対する哲学のお陰である。
だからこそ腐らず、転がり落ちることもなく、崖っぷちで踏みとどまれたのだ。

 

人生は長期戦だ。苦しい時もあるし、泣きたい時もある。
そんな時・・・

 

自分の内からどっしりと支えてくれる信念に近い「なにか」があるかどうか。
それは、人生を左右する程の重要な要素となるだろう。